研修勉強会で使用したレジュメです。

参考になれば幸いです。

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江戸の商人道原点、石田梅岩の「石門心学」に学ぶ

            梅岩から実践の人二宮金次郎へ

                          ㈱北菜経営研究所

                          代表取締役 佐々木伸

 

 

はじめに

   仕事・職業に上下・貴賤はあるのか

   仕事って何だろう。苦しいのか。つらいのか。楽しいのか

   商人や仕事にとって利益とは

   仕事と道徳・倫理の関係

   成功・成就には

 

 

1.石田梅岩の略歴   1685年~1744年(貞享2-延亨1

 ・丹波(亀岡)の寒村の農家の次男坊。律儀で正直な父の影響を受ける

 ・11歳で京都の商家に奉公

 ・15歳で実家に戻る。(既に生来の理屈っぽさあった)

 ・再び23歳で京都に上り商家に奉公。(神道と人の人たる道を勤めたいと思う)

 ・43歳まで奉公する。(儒学、朱子学、仏教など旺盛に学ぶ)

 ・35歳(1719年)で師の小栗了雲に出会う

 ・45歳(1729年)で請席を開く

 ・55歳(1739年)で「都鄙問答」を刊行

 ・58歳(1742年)大阪に講席を開く

 ・60歳(1744年)「倹約斉家論」を刊行。9月没

 

 

2.梅岩の生きた時代

1)元禄(16881703)から享保(17161735)の時代。

・「元禄文化」から「享保の改革」へ

・国内統一事業と身分制度の確立

・幕藩体制の経済危機

・町人の繁栄と危機

 

2)同時代の人々

  ・井原西鶴「日本永代蔵」1688年

  ・松尾芭蕉「奥の細道の旅」1689年

  ・「世間胸算用」1692年

・堀流水軒「商売往来」(江戸の商人の教科書)元禄7年(1694年)

  ・近松門左衛門「曽根崎心中」初演1703年

  ・貝原益軒「養生訓」1713年

  ・山本常朝「葉隠」1716年

  ・徳川吉宗第8代将軍「享保の改革」(新井白石解任)1716年

  ・近松門左衛門没 1724年

  ・荻生徂徠没 1727年

  ・平賀源内誕生 1729年

  ・本居宣長誕生 1730年

  ・杉田玄白誕生 1733年

  ・林子平誕生 1738年

 

 

3.当時における商人に対する見方

・士農工商の最下級で蔑視と罪悪者であるとの見方

 ・「蓋し利を求むるものは人を害す。人を害せずして己を利するものは未だこれあらざるなり。             (貝原益軒「慎思録」)

 ・「町人と申し候は只諸人の禄を吸い取り候計らいにて他に益なき者に御座候」

                   (林子平「上書」)

 

 

4.石田梅岩の思想

1)梅岩の学問と実践について

 ・「性を知るは学問の綱領なり。・・・心を知るを学問の初とす。」(都鄙問答)

 ・「学問の至極というは心を尽くし性を知り、性を知らば天を知る」。(同上)

 ・「神儒仏ともに悟る心は一つなり。何れの法にて得るとも、皆我が心を知る。」(〃)

 ・「書に依って迷はば書の無きことこそ勝らん。」( 〃 )

 ・「これ文字のする所にあらず。修行のするところなり。」( 〃 )

 ・「聖人の学問は行を本とし文字は枝葉なることを知るべし。」( 〃 )

 

2)梅岩の身分と職分について

  梅岩は身分に貴賤を認めたが、職業自体には貴賤を認めなかった。士農工商は職分の違いであるとした。

 ・「万物に天の与ふる理は同じといへども、形に貴賤あり。」(都鄙問答 以下同)

 ・「凡て道を知ると言うは、此身このままにて足ることを知りての他に、望むことなきを学問の徳とす。」

 ・「天の与える楽しみは、げにおもしろきありさまなり。何をもってかこれに加えん。」・

 ・「士農工商は天下を治めるたすけとなる。四民かけては助けなかるべし。四民を治め玉ふは君に職なり。君をたすくるは四民の職分なり。」

 ・「商人の道といえども何ぞ士農工の道の替わること有らんや。孟子も道は一つなりとの玉ふ。士農工商とも天の一物なり。天に二つの道有らんや。」

 

3)梅岩の職分と商人の道について

 ・「其の余りあるものを以てその足らざるものにかえて、互いに通用するを以て本とす。」

 ・「商人皆農工とならば、財宝を通わす者なくて万民の難儀とならん。」

 ・「商人の田地は天下の人に有り。天下の人は我が俸禄の主にあらずや。」

 ・「商人の売利は士の禄に同じ。売利なくば士の禄無してが事が如し。」

 ・「売利を得るは商人の道なり。元銀に売るを道と言うことを聞かず。」

 ・「実の商人は先も立ち、我も立つ事を思うなり。」        

  

4)梅岩の倹約と正直について

  梅岩における倹約とは単に経済的な行為の仕方を意味するものではなく、人間とし

ての生き方の基本的ありかたまでに高めている。法度は原則にすぎない。

   倹約

・「世界の為に三つ要る物を二つにすむようにする。」(語録)

・「人と成りては聖人の教えと御公儀の方式とを守るを要とす。」(語録)

・「身分相応を知れば倹約が常となる。」(斉家論)

・「倹約は・・・・時にあたり法にかなうように行う。」(〃)

 

   正直

・「我がいう所は正直よりなす倹約なれば、人を助くるにいたる。」(斉家論以下同)

・「倹約を言うは他の儀にあらず、生まれながらの正直にかえしたき為なり。」

・「惻隠の心発する所を直ちに行うを正直という。」

・「直ちに利を取るは商人の正直。」

 

 

5.石田梅岩の心学思想の認識と影響

1)江戸商人の意識は消極面として「奉公・体面・分限」があり、積極面として「才覚・始末・算用」があった。(商売繁盛大鑑、同胞舎出版)

 

2)「梅岩の教学が目指して立った狙い所は、何が善であり何が悪であるかを区分けするための標識を見出して、それを広く人々につげ知らしめるところにあったのではなくして、安んじて善を行い、努めずして悪を避けるまでに熟練した心境を万人の胸の中に醸しださせようとするものであった。それ故に学であると共に修養であって二者渾然として一つである。」(石川謙 18911969

 

3)日本の各地方での活動・運動への影響

  ・秋田での感恩講運動・・日本の慈善組織のさきがけ(文政12年、1829年)

  (天保の飢饉以降のべ400万人以上救済)創立者の那波三郎右衛門は京都の両替御用商人

 

4)二宮金次郎の報徳への影響

  ・農村復興と藩経営の再建、報徳思想⇒明治日本資本主義の担い手への強い影響 

 

 

6.中澤道二「道二翁道話」(梅岩の高弟)より

1)「道とは何ぞ。雀はちうちう、烏はかあかあ。鶯は鶯の道。鳩は鳩の道。君子其の位に素して行う、他に願い求めはない。其の形、地の通り勤めているのを天地和合の道といふ。

   柿の木に柿の出来るのもアイアイアイ。栗の木に栗の出来るもアイアイアイ。こごといわず、ただ素直に和合の道、此の他に道はない。それが神道、其れが儒道、其れが仏道じゃ。その他に道といふはない。聖人は天地同根同性なるゆへ、一切万物を心としてその他に別に心はない。学問といふはその道理を明らめるのじゃ。」

                               (初篇巻上)

「西行も牛もおやまも何もかも土のばけたるいなり街道」(紫笛翁)

 

2)「実相といふは、雀はすずめで、ちうちうが天地真実の相。烏はからすで、かあかあが真実の実相。此の実相に嘘はない。ちうちういうものは法。ちうちういわすものは妙なり。柿の木に柿の出来るは法、柿をでかすは妙なり。」(初篇巻下)                            

  「あすの事きのうの事に渡らずとただ今橋を渡れ世の人」(道歌 以下同)

 

3)「皆我が身に立ち帰らぬゆへ、主を恨み親をうらみ、終りには家を失い身を亡ぼす。大事のことじゃ。皆、銘々身に帰り見て、腹の中に覚えがあらば、懺悔をなさいませ。」                           (二篇巻上)

  「我よきに人の悪きがあるものか人のあしきは我あしきなり」

 

4)「先ず今日の有り難い事、一つ一つ身に立ち帰りて考へ御覧じませ。一日ひもじいめも知らず、雨露にも濡れず暮らすといふは、大体有り難いことじゃない。御代太平の御恩この上に何が有るぞ。此の有り難い事知らず、目があくと何がほしい何がほしいと、ポンポンするは皆やけどしているのじゃ。」(二篇巻下)

                              

 「雲はれて後の光と思うなよ、もとより空に有明の月」

 

5)「朝から晩まで日々に新たより外に道はない。神の道が人の道、人の道が仏の道。君子其の位に素して行う。外を願はず。きょろきょろよそを見ることはない。銘々の受取前を勤めさへすればよい。              (三篇巻上)

 「さしあたる今日のことのみを思えだ。帰らぬ昨日知らぬ明日の日」

 

 

.自身の体験との関係から

 

1)水産加工センター時代 

 

 

2)営業・商品担当時代

 

 

3)関連会社役員時代

 

 

8.キリスト教での仕事と職業観について

 

 ・「人は生きるために労働するだけでなく、労働するためにも生きているのだ」

                           (ツインツエンドルフ)

 

 

 ・「確定した職業でない場合は、労働は一定しない臨時労働に過ぎず、人々は怠惰に時間を費やす事が多い」

                           (バックススター)

 ・「職業の有益さの程度は第一に道徳的規準、第二に生産する財の全体に対する重要度、第三に私生産性である」              (ルター)

 ・「一方の非現実的、禁欲的で信仰に熱心であるということと、他方の資本主義的営利活動に関わるということと決して対立するものだはなくて、むしろ逆に相互に内面的な親和関係にあると考えるべきだ」    (マックスウエーバー)

 

 

・「「職業」を意味するドイツ語の「ベルーフ」Beruf(天職)という語のうちに、又、同じ意味合いを持つ英語の「コーリング」callingという語のうちにいっそう明瞭に、

 ある宗教的な神から与えられた使命(aufgabe)という観念が、ともにこめられている」                        (マックスウエーバー)

 

          

9.二宮金次郎の実践と報徳思想について・・・・・・詳細略  

 (一円融合、天道・人道、積小為大、分度、推譲、数値・実績主義、現場主義、人間主義、集団主義)

 

1)略歴

 ・天明7年(1787年)誕生(小田原藩栢山村、百姓の出⇒安政3年(1856)没)

 

2)小田原藩初め各地(栃木県の桜町⇒現在の二宮町など)で農村復興、藩の財政破綻再興の「仕法」を行う

 

3)報徳のいくつかについて

 ①万象具徳(報徳博物館より引用)

  どんなものにも よさがある

  どんなひとにも よさがる

  よさがそれぞれ みなちがう

  よさがいっぱい かくれてる

  どこかとりえが あるものだ

  もののとりえを ひきだそう

  ひとのとりえを そだてよう

  じぶんのとりえを ささげよう

  とりえととりえが むすばれて

  このよはたのしい ふえせかい

   「語録、夜話」から

神儒仏正味一粒丸 

「私は長いことかかって、神道は何を道とし、何が長所で何が短所か、儒教は何を教とし、何を宗とし、どこが長所でどこが短所か、と考えてみたが、みんなそれぞれに長短がある。・・・」                  (二宮翁夜話上)

 

 

天道の中に人道をたてる

 「およそ世界は流転してやまない。寒さがゆけば暑さがくるし、暑さがゆけば寒さがくる。夜があければ昼になり、昼になったかと思えば夜になる。また万物も、生ずれば滅し、滅すれば生ずる。・・・築いた堤は時々刻々に崩れる。掘った堀は日々夜々に埋まる。ふいた屋根は日々に腐る。これがすなわち天理の常なのだ。・・・

 ・ところが人道はこれとは違う。なぜかといえば、風雨の定めがない寒暑の往来するこの世界に、羽や毛もなくうろこや甲羅もなしに、はだかで生まれ出たのだから、家がなければ雨露がしのがれず、衣服がなければ寒暑がしのがれない。そこで人道というものをたてて、米を善としてはぐさを悪とし、家を造るのを善として破るのを悪とした。みんな人のために立てた道だから、人道とした。」

                          (二宮翁夜話上)

 

 

読書は縦糸、実践は横糸 

 「書物を読んで実践しない者は、鍬を買って耕さないのと同じことだ。耕さないのならどうして鍬を買う必要があろう」        (二宮先生語録上) 

  

 

 ・分度は土台石

  「天下には天下の分限があり、一国には一国の分限があり、一郡には一郡の分限があり、一村には一村の分限があり、一家には一家の分限がある。これは自然の天分である。天分によって支出の度を定めるのを分度という。・・・・土台石があって初めて家屋が営造できるのと同様に分度を定めた上ではじめて国家は経理できる。分度をつつしんで守りさえすれば、余財は日々に生じて、国を富まし民を安んずることができるのだ。」                       (二宮先生語録上)

 

 

 ・積小為大・・小事を積んで大事を成す

  「大事を成しとげようと思う者は、まず小事を努めるがよい。大事をしようとして、「小事を怠り、できないできないと嘆きながら、行いやすいことに努めないのは小人の常である。およそ小を積めば大となるものだ。・・・1万町歩の田は一くわずつの積んだもの、万里の道は一歩ずつ重ねたもの・・。」      (二宮先生語録下)

 

                           

推譲の楽しさ

 「わが道を行おうと思う者はよろしく家産の半ばを推し譲るべきである。たとえば百石の所有者はそのうち50石で家事を経理し、残りの50石を推し譲る。・・・辛苦でないといえばいえるが、しかし、意を決して行う段になれば、ぜいたくな費えは日々に省け、施す財貨はつき月に多くなり、心は喜びに満ちて、多くの人を救う功業を楽しむことができる。」                   (二宮先生語録下)

 

 

手堅い商人

 「・・千円の資本で千円の商業をするときは、はたから見てあぶない身代だという。千円の身台で八百円の商業をするときは、はたから見て、小さいが堅い身代という。この堅い身代といわれるところに味があり益があるのだ。ところが世間の人は百円の元手で二百円の商売をするのを働きものだといっている。大いに誤りというべきだ。

                             (二宮翁夜話上)

 

 

商売の要領

 「千両の資本を持った商人が、その半分で商売をし、その半分を遊資としておけば、安い商品が知らず知らず集まって来て、多大の利益を得ることができる。これが承認の道である。また、店の商品のうち何ほどかを分外として原価で売れば、そのために多大の利益を得ることができる。これも商売のこつである。なぜなら、品が値段よりまさっていれば、お客ばかりでなく、通りがかりの人までに店先に足を止める。逆は・・・ 」                     (二宮先生語録上)

 

 

まず労力を譲る

 「空腹のときに、よそへいって、飯を食わして下さい、そうしたら庭を掃きましょう、といっても誰も一飯をふるまう者があるはずがない。空腹をこらえてまず庭を掃いたら、あるいは一飯にありつくこともあるだろう。これがおのれを捨てて人に従う道であって、百方手段が尽きはてた時でも、行われる道なのだ。

  まだ元気盛りだ、・・毎晩寝るひまをさいて、精をだしてわらじ一足でも二足でも作る。そうしてあくる日開墾地に持って行って、わらじの切れた人、破れた人にやる。  受け取って礼を言われなくても、もともと寝るひまに作ったものだから、寝た分と思えばよい。礼をいう人があれば、それだけ徳だ。もし、一銭半銭を礼にくれる者があれば、これこそまたそれだけ利得だ。・・・何ごとでも成就しないはずはない                                                         

                           (二宮翁夜話上)

 

 

鍬の求め方、家の興し方

 「家を貧乏から興そうとする者は、家具や道具類を買いこまぬがよい。どうしてもどうしても必要というときになって隣から借りればよいのだ。もし、耕そうとして鍬がないときも、借りたらよい。隣の人が耕すので使うと言ったら、精だしてその手伝いをし、早くその畑を仕上げてから、自分の畑を耕すのだ。夜になっても構いはせぬ。これが家を興す道である。けれども、始終借りさえすればいいと思っているのも、貧乏から抜けられぬゆえんである。一々借りているよりは、日雇いかせぎをして銭をもらって鍬を買う方がよい。一日雇われればその鍬が自分のものになるのだ。およそ貧を免れて富をいたす方法は、この道理を推しひろげるだけのことである。

                             (二宮先生語録上) 

 

 

10.二宮尊徳が影響を与えた近代の実業家

 

 ・渋沢栄一(日本実業界の父)

 ・荘田平五郎(三菱近代化の立役者)

 ・鈴木馬左也(住友本社総理事)

 ・豊田佐吉(トヨタの創始者)

 ・御木本幸吉(真珠養殖の創始者)

 ・松下幸之助

 ・土光敏夫(臨調会長)

 ・その他

 

 

11.今に生きている実践の教え

 

 天道と人道、積小為大、至誠と実行(勤労、分度、推譲)

 

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